2005/10/16

Big Guy

to Se?orita Tanabe

救済がないと分かった後もなお記憶をもつ者は、九九を覚え終わった小学生のようなもの。はたまた、景山式計算ドリルを朝から晩まで子供と一緒に頑張る減点パパかも。

「熱狂」を引きずるというのはいかにも崇高さに欠けるといいますか、一種の才能ですかねぇ。あるいは、フレグマの崇高を選ぶ人がやはり多いのでしょうか。この「崇高さ」とやらを、ド・マン片手に考えているときふと気づいたことは、聖職者のタイプ。

常々、正教会教徒の熱狂性皆無が不思議で仕方がなかった。というのも、プロテスタント(テレビ宣教師を想像してね)のプロパガンディストと比較すると、どうもその毛色の違いに違和感を感じていた。というより、あの宣教師が僕のステレオタイプで、アメリカかどこかのゴスペルアワーなんかだと、みんな泣いちゃってる。

ただ、一つ興味深い話として、前ポンティフィスがその座に着く前日に、聖堂の十字架の前で身を投げ出して一晩中祈り続けたというの。献身ということだろうけど、でもやはりこれは意外だった。こっちのパパは百点パパかもしれない。